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学童紹介

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杉田学童保育所のあゆみ

 

 H11年当時、屛風浦学童(屛風浦ちびっこ)に在籍する児童の数が増え、指導員2名では個々の児童への対応が難しくなったとともに、生活するスペースも狭くなり、子どもたちのストレスもたまりやすい状況でした。しかも、杉田、梅林といった遠方の小学校から通っている児童数が在籍児童の3分の1となり、これらの児童や保護者が経験した苦労は計り知れません。

何度となく、話題には出ては、消えていた分割の実現を、当時の父母たちの努力により、実現できる機会が訪れ、H11年暮れに横浜市市民局、教育委員会の交渉の席において、分割に向けての意思表示を行いました。そして、翌年のH12年1月、役員会にて分割の提案を行い、ついに実現の運びとなりました。

 H20年頃、建物の安全性に対する危惧がなされたことと、大家さんが地主さんへの土地返却期限が近づいたこともあり、移転先を探す必要がでてきました。

そしてH27年、横浜市は学童保育所に対する新制度をスタートさせました。それは5年以内に、耐震基準、面積基準等を満たさなければ、施設家賃補助が出せないという内容のものでした。

杉田学童は戦争直後に建築された建屋に60名の子どもが通っていたこともあり、両方の基準を満たさせなければならないという大命題が課されたことになります。

とうとうH27年7月、H28年3月以降の施設賃貸契約更新の終了通知が届きました。当時の役員達は、これまで以上に物件探しに注力しました。学童保育所属する磯子・中ブロックが年数回開催する議員懇談会を通して、自民党の関勝則市議会議員より後援会に声をかけていただいたり同じ自民党の山本たかし市議会議員には知り合いの建築士に声をかけていただきました。

 しかしながら、なかなか耐震基準を満足する物件が見つからず行き詰ってしまった状況の中、奇跡が起きました。それは、杉田小学校付近に土地を所有する方が「地域に貢献したい」、「現在駐車場となっている場所を学童や保育所として有効に使ってもらえないか」という提案でした。

役員達と保護者で協議を重ね、H28年2月の保護者会でその提案を受け入れる決議に至り、5月着工・8月竣工。8月末に移転し、夏休み明けより現在地での運営が開始されました。

 杉田学童は学校に近いという環境にもめぐまれ、耐震基準も満足する施設となり、保護者もより安心して子ども達を預けられるようになりました。これも多くの方々の努力の結晶であることに違いありません。

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